羽生結弦のコーチが可愛いすぎ!監督経歴と画像や動画のまとめ

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羽生結弦選手 金メダル
宇野昌磨選手 銀メダル

本当におめでとうございます!!1

素晴らしい演技でジャンプやスピン
一つ一つの動作から
気持ちが伝わってきて感動しました!
そんな素晴らしい演技の羽生選手ですが
実は監督が可愛いと話題に!

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メダリスト3人がお互いの功績を称え合い
喜びあってる後ろで
自撮りって(可愛すぎます)

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またジャンプを決め、グッと堪えた後の
喜びの爆発させようったら(笑)
胸元のスタッフ札が尋常じゃなく
跳ね上がってますよね(笑)

そんな可愛い監督について調べてみました。

これお笑い芸人ガリットチュウさんです(笑)
なんか似てる、わかるって思ったらツボりました!

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でもでも
このコーチ実はめっちゃすごい人なんです!

オンタリオ州ベルビルに生まれた。もともとアイスホッケーに興味を持っていたが、6歳のときにフィギュアスケートを始めた。1977年、カナダ選手権のノービスクラスで優勝。1978年世界ジュニア選手権では4位となった。1979年カナダ選手権にはジュニアクラスに出場し、トリプルアクセルを成功させる。

1980-1981年シーズンよりシニアクラスに完全転向。1981年カナダ選手権では初優勝を果たし、カナダ男子シングルのエースとなった。1983年世界選手権で自身初のメダル獲得となる3位。

1984年サラエボオリンピックではコンパルソリーフィギュアで7位と大きく出遅れたものの、ショートプログラムでは1位、フリースケーティングでもオリンピック史上初となるトリプルアクセルを成功させ1位、総合2位まで盛り返した。カナダ男子シングル選手としては1932年レークプラシッドオリンピックのモントゴメリー・ウィルソン以来のメダルを獲得した。1985年カナダ勲章受章(1988年にはオフィサーに昇進)。

1985年、1986年の世界選手権ではともに2位に終わっていたが、1987年世界選手権で念願の初優勝を飾った。

開会式でカナダ選手団の旗手を務めた1988年カルガリーオリンピックでは、アメリカ代表のブライアン・ボイタノとの対決に注目が集まり、ともにファーストネームがブライアンであることから「ブライアン対決(Battle of the Brians )」と称されたが、敗れて銀メダル。オリンピック後に引退し、プロフィギュアスケーターとして活動を始めた。

すごいですよね1
可愛いおじさんと思ってすいません。

コーチとしてはキム・ヨナを2009年世界選手権及び2010年バンクーバー五輪金メダリストに導いた実績がある。オファーを受けた当時、オーサーは必ずしも指導者経験が豊富でなかったが、GOEの評価を重視した戦略が功を奏し2009年3月の世界選手権、2010年バンクーバーオリンピックでキムを頂点に導いた。韓国ではキムとともにアイスショーのほか、自伝の出版やTVCMにも出演、五輪後の2010年3月にはソウル名誉市民となった。2010年8月、自身のマネージメント会社IMGを通じてキム側からコーチ契約を一方的に解除されたと発表、一方キム側はこれを否定、その後は互いに非難し合う泥仕合へと発展し、後味の悪い形での関係解消となった。 その後は羽生結弦のコーチをつとめ、2014年ソチオリンピック、2018年平昌オリンピックで羽生を金メダルに導いた。

あのキムヨナのコーチでしたね!
スケートファンならこの顔には見覚えが!
というか有名人ですよね!

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とにかく抜群の相性を見せる羽生選手とコーチ
これからもその愛らしい姿と
勝つための素晴らしい戦略で
成長を続けて欲しいですね!

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